人生の目的-7


またまたこのカテゴリーでちょっと文章を書いてみたくなった。

昨日、ある方と話しをしている中で突然気が付いたことがある。それを書いてみたいのだ。

「人生とは」というような話の中で、突然自分という木があるように思えてきた。誰でも自分の中に「木」のようなものがあって、歳とともに経験を積み、学習を重ね、その木が成長する。 子供のころは小さな苗木だったであろうその木は何十年という時を重ね、大きな木に成長する。それが自分だ。

その木の成長を表すものが年輪であり、歴史である。その木しか持ち得ない年輪であり、その木でしか表すことのできない木目になっている。

この年輪は誰でも知っていることであるが、硬く色が濃い部分は成長の遅い冬、そして色の白い柔らかな部分は成長の早い夏に創られる部分だ。

この年輪の模様が、それぞれの木によって全く違うのは、それぞれの木が今までどんな環境で育ってきたか、どんな歴史がそこにあるのか、どんな道を歩んできたかがどれ一つ同じでないからだ。そしてそれが違うから唯一の美しさを持つ。

ここでちょっとその木の年輪というものについて立体的に考えてみてほしい。木の年輪は上記のように固い色の濃い部分と、柔らかな白い部分が折り重なった円筒形のものだ。輪切りにしたら丸い同心円にしか見えないのであるが、木は円柱形の立体である。 つまり硬く色の濃いパイプが何重にも重なる構造であり、その硬いパイプの間を柔らかな白い部分が埋めている円柱形の構造なのだ。

この何重にも重なる多重パイプ構造のものを想像してみてほしい。これは多少のことでは曲がらない。木とは、もともとそういう強さを持った物理的構造なのだ。だからこそ木は強い。これが木の「強さ」なのだ。

ではその多重パイプ構造のすきまを埋めている柔らかな部分はどういう働きを持っているかというと「しなやかさ」である。硬い多重パイプ構造のものにこの柔らかなコンパウンドが充填されることで、多重パイプの隙間でその部分が干渉材のように働く。

だから木は台風が来ても折れることがない。たいていの暴風にはしなやかに対応できるのだ。

人間の中にはこの「木」があるように思う。もしかしたらこれは「気」とか「心」のようなものなのかもしれない。その「気」もおそらく「木」のように年輪構造を持つものではないだろうか?

自分にとって厳しい試練の時、耐え難く、そして辛い時は年輪は固い部分を作り、それが未来において自分を支える「強さ」を与える。 そして自分にとって幸福、達成感を感じる時は年輪の柔らかな部分を作る。それが未来において自分に「しなやかさ、やさしさ」を与える。

それがちょうど「木」の多重構造、「年輪」のようになっているから、人は強く、そしてやさしくなれるのだ。

厳しく辛く悲しい時も、笑顔でうれしく幸せを感じる時も、その両方が大切な時であり、それが未来の、これからの自分を作るのだ。

 


JA1CTV
人生の道

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